# ESSAY # 〈シリーズ人生〉

第三回 ボランティア活動をして思うこと

大橋敏孝/秋田市

 私は現在68歳のシニア世代です。ボランティアに関心を持ち始めたのは、長年勤めた職場を退職してからまもなくのことでした。たった一度の人生だから、これからどう過ごすか、自分にはどんなボランティアができるかと思案していた頃、地元新聞に「ボランティアはできることから」と題した投稿記事を見つけました。老人ホームで電子オルガンを演奏して皆さんに大変喜んでもらい、ボランティアをして本当によかったという内容のものでした。私も趣味で楽器を少しやっていたので、音楽ボランティアをやってみようと思い立ち、早速歌詞カード作りや楽譜集めなどの準備を開始、練習を積んで1年後に活動を始めました。今から5年ほど前のことです。
 活動にあたっては、素人で何のノウハウもなかったので、最初の1、2年は準備不足や緊張の連続で少し苦労をしましたが、続けているうちに雰囲気にも慣れ気持ちにもゆとりが出てきて、現在ではキーボード(鍵盤楽器)だけの活動ですが、介護施設を中心に利用者の皆さんが歌う曲の伴奏を楽しくさせていただいています。童謡、唱歌、ナツメロが中心ですが、「伴奏があると歌いやすい」「歌うと元気が出る」「また来てください」などという喜びの声や、職場のスタッフの方々も「皆さん楽しみにしていますよ」「待っていますよ」などと声をかけてくださるので、こちらもこの上なくうれしくなります。
 ボランティア活動は、自分にあったものを無理なく、相手の立場を理解しながら行うことが大切といつも自分に言い聞かせています。好きなことで活動することは生きがいにもつながるし、何よりも皆さん喜んでくれることが明日へのエネルギーになっています。活動が何かしらお役に立っているなという意識を持つことで、地域社会とのつながりをより身近に感じています。
 活動を長く続けたいことから、「社会のため半分、自分の生きがいのため半分」というあまり頑張りすぎない気持ちを維持しながら、must(ねばならない)でなくcan(出来ること)の範囲で、介護施設数ヶ所に冬季間を除く毎月、定期的に出向いて活動しています。
 本年1月、あきたシニアクラブに入会させていただきましたが、私にとって新しい出会いの場となりました。これを機会に今後のシニア人生、もう少し活動範囲を広げて地域の皆さんに微力ながらお役に立てればと思っています。

〈了〉


第二回 土曜日のマイパターン

本村靖弘/仙台市

 還暦も過ぎて二度目の職もリタイヤーした男の身となりましては、一週間を有効適切に使いこなすのはとてつもなく難しいものです。晴耕雨読だ、専業主夫だなんて鷹揚に構えている場合ではないのです。小生はポテトチップスをほうばりつつテレビを観るあのカウチポテトになってしまうのを最も恐れております。
 そんななかで、土曜日だけはきらりと光る一日となります。昔は半ドンとかで中途半端な二十四時間でしたが、この日だけは零細企業の社長さんみたいに走り回ります。

 したがって土曜日は早く起きます。きっかり九時半には車で家の近くのテニスコートに出かけます。晴雨にかかわらずと言いたいところですが、テニスは雨と雪には弱いものです。メンバーは八人程度ですが、もう十五年以上続いており、しかも男ばかりの群れです。長く続く理由の一つに実は大きな声では言えないのですが、地元特権でここのコートの使用料が無料であることも重要なポイントの一つです。それにお互いの技量や性格まできっちりと知り尽くしてはおりますので和やかです。勝敗の結果が番付けどおりにならないところにも面白さと希望があります。以前はこの群れの中に妙齢のご婦人もいたんですが、この男達とテニスをこれ以上続けると気品がなくなると思われたのか、一人減り二人減り今は女っぽい者もおりますが純粋な男集団です。

 一般的にテニスは紳士淑女が楽しむものらしく、常にマナーとフェアープレイを大事にして勝敗は二の次にするという基本スタイルに縛られておるようです。ところが、この男どもはプレイ中にも無遠慮な言葉が飛び交いますし笑いも絶えません。マナーにはマイナスですがストレス解消には大変プラスになります。十時から十二時まできっちりとプレイしますと六十歳を超えた我々はグーの音も出ないほど疲労困憊しております。ですが相変わらず口だけは動かし続けております。

 テニスが終りますとその足で宮城県立図書館に立ち寄ります。五冊の本を二週間毎に借りています。前回は春蘭の本四冊とゴルフの本一冊でした。じつは我が家の庭の松の木の下に三年ほど前から植えていた野生の春蘭がすっかり大きくなり、去年あたりから花をつけるようになりました。折りも折り、九州の亡兄からも五鉢の春蘭と寒蘭を頂いており、俄か蘭師の真似ごとです。

 借りた本を抱えて同じ建物にあるレストランに直行します。スープを注文しますとウエイトレス(今はなんと呼ぶんでしょうか・・なんとかアテンダントとか)が、カップのみを運んできます。そこからはセルフサービスですので自分で満タンに注いで席に戻ります。そして、やおら借りた五冊の本を取り出して「何故に、こんな本を借りたのだろうか」、「果たしてその選択は正しかったのか」を確かめるため一時間ほどざーっと目を通します。時折りスープに手を運びながら・・・。カラになれば自分で何度でも注ぎ足し可能なんです。これって融通性があっていいなあと思います。二杯でも三杯でもいいんです。これまでは最高四杯までにとどめておりますが。

 スケジュールはまだあります。十三時からは市内の川柳句会への参加です。ですから夏は真っ赤な顔で出席することも多々あります。じつは川柳界も老齢化が進んでおりまして七十・八十歳がうじゃうじゃです。そんな中で「テニスやって来た」自分を見せつけて自分自身を励ましております。ただし、この川柳句会は第一土曜日だけになっております。句会が終わってからの懇親会でいっぱいが飲めないのが残念ですが、雨でテニスが出来ないときはバス・地下鉄での句会になりますので安心して飲めます。柳友たちからは雨男と呼ばれております。

 テニスから帰宅しますとさっそく風呂に入って汗を流します。その後のマイパターンはやっぱりゴルフ放送を観ながらウトウトパターンでしょうか。

◇私の川柳の拙句です。

01 しなやかな指に男が曲げられる (豪胆な男も女性には弱いらしい)

02 夕焼けの向うで戦がまだ続く  (西の方はいつまで戦が続くのだろう)

03 麻痺の手で書いた詩です叫びです(星野富弘の絵と言葉に感動した)

04 包装をほどくと相手が見えてくる(上っ面だけで人は判断出来ない)

05 家というぬるい嵐の中に棲む  (住み慣れてしまうと人間は怠惰に)

06 時計屋の時計は売れるまで動く (売れるまではしっかり動いている)

07 人間を絞ると甘い水が出る   (所詮、人間の考えることは甘い)

08 神様がくれた時間を追いかける (それが運命というものです)

09 最後まで意地を通した父の骨  (剛直な父でした)

10 今朝咲いた花を貴方は摘めますか(人の命の儚さは神の手に)

〈了〉

※本村さんには、あきたシニアクラブの「月例シニアサロン」にて『初心者のための川柳教室』(平成19年7月8日実施)の講師をお願いいたしました。


第一回 「くされたまぐら」で生きよう
〜倒産、離婚を経験して見えてきたこれからの生き方…〜

清澄竜子(ペンネーム)/秋田市

 「くされたまぐら」…何ともユーモラスな言葉である。はて? 言葉の意味するところは、〈農機具の鎌(かま)など木の柄にはめこむ金属の輪が腐ると、緩くなってしまって何にでもはまる〉ということから、あちこち人の集まるところや会に出かけていくことを「くされたまぐら何にでもはまる」という、立派な秋田弁である。
 生涯学習センターの講座に初めて参加した折、当時の所長鈴木元彦さんが「お竜さん、せっかく秋田へ来たんだから“くされたまぐら精神”で何にでも挑戦するといいですよ」とおっしゃってくださった。この言葉がきっかけとなって、いろいろな会に参加することを試みた。すべて自分の不利益になることは一つとしてなく、こころの肥やしとなった。人生を楽しく生きるためのヒントを得る手段は、あきたの「くされたまぐら」にあると見た。

 2003年10月29日、秋田県地方は暴風雨で、庭のノウゼンカズラは無惨にも根元から倒れてしまった。いつのころからか盛夏のころになると、毎年数え切れないオレンジ色の花を咲かせていた。次から次へ咲くので一ヶ月は楽しむことができたのである。しかしノウゼンカズラは、この日死んだ。
 普通に生きる人生においては、めったにないと信じている出来事に遭遇したのだ。ノウゼンカズラが死んでから10日後の11月9日、夫の経営している建設会社の倒産を知らされることになる。前々から肌で感じていたことであったが、突然、事態が表面に現れるとは…。途方にくれる暇もなく、ノートパソコンと身の回りのものをバッグに入れただけの軽装で、車で家を出ることになった。
 夜の9時、息子と一緒に家を出て、夫とは別行動をとることにする。夜遅くてはホテルに行くのもはばかれるので、コンビニで温かいお茶を2本買って秋田大学附属病院の駐車場で一夜を明かすことにする。日曜日の夜、この時間はパソコンに向かっているか、テレビを観ている時間である。今日の今、何が起こったかゆっくりと考える暇もなく秋田大学附属病院の駐車場に到着した。出入りが多いので治安は心配ないのだが、エンジンをアイドリングにするわけにはいかず、車にほうり込んでおいた毛布にくるまってみるのだが、足の方からしんしんと冷えてくる。
 考える機能が全く麻ひした我が能力の未熟さをなげくより、11月の寒さを考える方が勝っているのだから、人間極限状態になると、動物的な本能といえる体感の方が勝るらしい。何とか寒さをしのぐには、ヒーターで体を温めるほかはないのでエンジンをかけ、車を走らせた。車の走行が少ない秋田空港、中央公園、協和の山あいを走行して、体が十分温まったところで、秋田大学附属病院の駐車場に戻ってきた。
 「私は今何をやっているのだ」ではなく、早く朝が来ればいいと、まんじりともしない一夜を過ごすことになる。今回の出来事を、自分なりに分析しておく必要がある。自分を取り巻く人とのつき合い方から、自分が本当に根をすえて生きて来たのか。今まで相対するマイナーな面を良いことに、心の奥で人を利用しながら生きて来たのではないかなど、数え上げればきりがないほどの多くのことを。
 会社は大手の下請け仕事をするようになってから早出、夜業、土日返上で、まるでコマネズミのように…。当てにしている収入をカットされても、仕事をした下職にはきちんと支払いがある。
 企業倒産件数が一番多い職種なのである。銀行融資を受けるのに、見たこともない金額の下に連帯保証人の欄に署名押印する。毎日の仕事の状態を見る限り、発注元や大手企業の名前はすべて信用のおけるものであったから、一抹の不安を持ちながらも、生活現状を保つためであった。
 いつのころからか、血の気の多い一組の男と女は、2本の線路の端と端を歩いていたのである。除夜の鐘を一人で聞き、新年をひとりで迎えるのも十年になっていた。
 無意味だったのか、江戸っ子気取りの侠気が自分の身に仇となって帰ってくるなんて。女が粋がった分を人が評価してくれるほど、社会は甘くないということは十分承知しているのに情けない。『欲張っちゃいけねえよ。ちょいと足りねえくれえが分(ぶん)ってもんよ。天井ばかり見てねえで、足下をよく見て歩きな!』父親の言葉が聞こえる。

 ふっと我にかえると、秋田へ来てからの人との出会いは、今までもこれからも、我が人生の宝ものである。NHK・ETV特集(2004.6.19)「消えぬ戦争(いくさ)よ・随筆家 岡部伊都子の語り続ける沖縄」、伊都子さんの最初の言葉に『人生には出会わなければならない人がいる』、この言葉がずっと心に残っている。一人の人間の形成は多くの人の力と愛によって育(はぐく)まれていくものであるのだ。
 ノウゼンカズラの咲く我が家があった清澄町は、市の町名募集で、私の生まれ故郷の深川清澄町の清澄町で応募して採用された町名なのである。web上で秋田市の住所を検索すると秋田市旭川清澄町と一番最初に表示される。
 ノウゼンカズラの咲いた家を出てから2年7か月になり、アパート暮らしの気楽な独身女に変化をとげた。これもみな友人のさりげないアドバイスと力があったからである。そして「くされたまぐら」で得たヒントが生きている。親にもらった無傷な身体を、自然に命が尽きるまで大切にしていきたいと思っている。現在NPO活動支援室の末席で日々楽しく過ごしている。〈了〉

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