福島原発事故と低線量被曝 村上東   
     

 まだ幸い水素爆発程度で済んでいるのかも知れないが、福島原発事故機の連続した爆発による放射能汚染の広がりが確認されて以来、「ただちに影響がでるレベルではない」等々の危険評価を私たちは毎日のようにテレビなどで耳にしてきた。空気、飲み水、食品などを介して汚染を取りこむ可能性のある多くのひとびとのみならず、学問に関わる私たちにとっても大きな問題を突きつけていると思われる。

 国際放射線防護委員会には、日本も委員を送り出し、その基準や勧告を参照している。その2007年版勧告書にも、被曝線量に応じて危険性が高まること、少量の被曝なら少量の危険がともなうことが明記されている。つまり、一定以下なら安全という数値は放射線被曝に関して存在しない、というのは、一般に世界が受け入れている考え方である。もし、白血病や癌になるのは将来のことだから、「ただちに影響がでるレベルではない」と発言したのであれば、無責任であり、発言の裏にある意図を問われて当然だろう。また、国際放射線防護委員会の考えに異論があるのなら、政治家(彼らも責任を問われるのだが)はともかく、教育研究に携わる人間ならば、自分の信ずるところを明らかにしなければならない。

 国際放射線防護委員会の勧告等については、即座に個人や団体がインターネットやツィッターで情報提供を行い、報道する側もある程度は配慮しなければならなくなっている。しかし、内部被曝の危険性を以前から訴えてきた科学者や市民団体の議論はその先を目指している。

 国際放射線防護委員会の危険評価モデル(線形閾値なしモデルと呼ばれる)には、ふたつの理由から反論がある。もともと広島と長崎から得た外部被曝の資料をもとにつくられたものであり、体に取りこまれた放射性物質の影響(内部被曝)を考慮に入れていないことと、周辺地域に汚染を広げた原子力施設やチェルノブイリ事故の影響についての研究と照らし合わせて、その妥当性が疑問視されたことによる。

 外部から放射線を浴びた時、細胞の染色体に損傷が生じ、修復できない場合には障害につながる、とされる。浴びた放射線の量に応じて危険度が増す線形閾値なしモデルの根拠だ。しかし、カナダ原子力委員会のホワイトシェル研究所における実験でアブラム・ペトカウは1972年に、低線量の放射線照射によって生じる活性酸素が容易に細胞膜を破壊することを発見した。低線量であっても内部被曝が深刻な影響を持つことが物理化学の知見から裏付けられたことになる。詳しいことは、肥田舜太郎/鎌仲ひとみ『内部被曝の脅威―原爆から劣化ウラン弾まで』(ちくま新書)や Ralph Graeub, The Petkau Effect: The Devastating Effect of Radiation on Human Health and the Environment ( New York: Four Walls and Eight Windows, 1992 ) にあたってほしい。ともかく、低線量被曝には別のメカニズムもあり、その破壊力は軽視できない。

 今日まで60年以上健康被害が続く広島と長崎、現在も広範囲に悲劇が続くチェルノブイリ、どちらも低線量被曝の影響を考慮することを世界に求めている。そして、福島原発事故による汚染はまだ広がる可能性を持っているし、放射能汚染の実態が質量ともに明らかになるのは先のことだろう。放射能の危険に関する欧州委員会 ( the European Committee on Radiation Risk, ECRR ) の学術部局長、クリス・バズビー博士は、内部被曝を考慮に入れた新しい危険評価モデルを使い、被害の予測 (http://www.llrc.org/index.html ) を既に発表している。六桁の癌患者増加数が見込まれている。原爆によるものにせよ原発によるものにせよ、放射能による疾病は因果関係の証明が困難であり、被害者が補償を受けられない場合が多い。私たちの社会はこの問題をどう受け止めてゆくのであろうか。また、二十世紀から相続した負の遺産に学問はどう向き合うのか、問われているのである。