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自然 自然保護 雑感 1  (溪落)

 自然や自然保護という言葉が「葵の御紋」のような力を持ち始めたのは最近のことである。
この自然や自然保護があたかも知性や理性を表す尺度のようになったのはそれなりの理由もあり、また意義もあることであるが、自然や自然保護に対する概念が同じであっても、人それぞれの人生観の違いによる自然に対する思想や何故に自然保護が必要なのかという発言が多くなされ百家争鳴の観である。
それが自然保護の遅々として進まない元となっているような気がするのである。
 ある有名人はゴルフ場はすばらしい自然であると公言していたし、北海道の広大な畑をバックに「北海道の大自然へ」などの広告宣伝がヤタラ目につく。また盆栽という趣味がある、個人が二〜三鉢の盆栽を楽しむのは理解もできるが、基本的には自然の摂理に反して生育をさせたものをカルチチャーセンターなどで、その美や生育を競うという感覚は理解に苦しむのである。
 これらは日本だけの現象ではない。ヨーロッパアルプスの牧草地を前景とした山岳の写真なども、もっとも典型的な大自然の風景として世界に通用しているのである。
ここで問題なのは一般大衆にとって、自然はいつでも別の形の自然に造り変え得るという錯覚をうえつける結果となることである。
 自然を利用という大義のもとでの破壊、または改良(結果としての破壊)することによって、今日の人類の文化文明がある。人類の進歩のためという口実で自然の破壊、もしくは造り変えが正当化されたとき、本当の自然が消え失せてしまうだろう。
 人類も自然の一部であり、その人類が自然を破壊することも自然現象の一部であるという意見もある、たしかに理論として成り立つとは思うがそれが拡大解釈される危険がある。
 自然の保護は何のために必要なのか、今日の議論は大きく分けると二つある、一つは、自然は自然のためにあるべきであるという主張であり、もう一つは、自然は人間に多くの恵みを与えてくれるから大事であるという主張である。

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