秋田市の国際交流:姉妹都市情報です
姉妹都市

秋田市は5都市と姉妹都市などの交流をもっています。
秋田市姉妹都市フォーラムでは,これら友好都市との交流を通して国際交流を進めることを目的としています。
姉妹都市:ドイツ連邦共和国バイエルン州パッサウ市
パッサウ市
姉妹都市提携
昭和59年(1984年)4月8日
昭和47年(1972年)、秋田日独協会が発足し、ドイツとの交流が始まりました。開かれた国際人および国際都市秋田市を目指し、ヨーロッパ文化摂取の窓口としてドイツの都市と友好関係を結びたいという機運が市民の間で高まり、昭和59年(1984年)、姉妹都市提携に至りました。
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ドイツ連邦共和国バイエルン州パッサウ市詳細
中華人民共和国・蘭州市
中華人民共和国・蘭州市
姉妹都市提携
昭和57年(1982年)8月5日
昭和53年(1978年)に日中平和友好条約の締結により、秋田市民の間に隣国である中国の都市との交流促進の機運が高まるなか、北京の中日友好協会から蘭州市との友好提携についての勧誘がありました。それを契機に、市民代表等が蘭州市を訪問して相互理解を深め、昭和57年(1982年)、友好都市提携に至りました。
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中華人民共和国・蘭州市詳細
ロシア連邦・ウラジオストク市
ロシア連邦・ウラジオストク市
姉妹都市提携
平成4年(1992年)6月29日
平成元年(1989年)、野球を愛好する市議会議員と市職員有志がウラジオストク市に野球用具を寄贈し、スポーツ交流を開始しました。また同年、秋田市訪ソ団がウラジオストク市を訪問して、交流の端緒を開いています。
平成2年(1990年)、ウラジオストク市から硬式野球チームが来秋するなど往来が活発化していきました。
平成3年(1991年)4月、秋田市長を団長とする友好交流団が訪露し、環日本海時代にふさわしい対岸交流の中核をなす提携関係の合意を形成しました。
その後、ウラジオストク市との協議を重ね、本市職員、硬式野球チームの派遣、両市友好交流団、市議会議員団の相互派遣などを経て、平成4年(1992年)6月にウラジオストク市において姉妹都市提携調印を行いました。
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ロシア連邦・ウラジオストク市詳細
アメリカ合衆国ミネソタ州セントクラウド市
アメリカ合衆国ミネソタ州セントクラウド市
姉妹都市提携
平成元年(1989年)5月25日
秋田市は、旧雄和町との合併に伴い、それまで雄和町が姉妹都市提携をしていた米国・ミネソタ州セントクラウド市との交流を引き継ぎました。雄大な自然とミシシッピ河の流れに象徴される「水と緑豊かな文教都市」セントクラウドの概要を紹介します。
平成元年5月25日のミネソタ州立大学機構秋田校の開学をきっかけに、旧雄和町が秋田校の幹事校であったセントクラウド大学があるセントクラウド市との友好交流を深め、4年後の平成5年に正式に姉妹都市提携をしました。
その後、町内の中学生代表団を同市へ派遣するなど教育分野を中心とした交流を継続的に実施し、10年以上にわたり、交流を深めてきました。
秋田市・河辺町・雄和町による合併に伴い、平成15年11月の合併協議会において、新市として引き続き交流を継続することが決定されました。
平成17年1月の合併後、書面による両市の交流継続意志の確認を経て、事務レベルの事前協議を行い、平成18年6月に姉妹都市提携を調印しました。
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アメリカ合衆国ミネソタ州セントクラウド市詳細
アメリカ合衆国アラスカ州キナイ半島郡
アメリカ合衆国アラスカ州キナイ半島郡
姉妹都市提携
平成4年(1992年)1月22日
秋田市とキナイ半島郡は平成4年(1992年)1月22日に交流合意都市提携にいたりました。以後色々な形で交流を続けています。
アラスカは歴史時代以前はエスキモーとインディアンの土地でしたが、18紀に入ると、ロシア皇帝の命を受けたベーリング(ベーリング海峡にその名前が残っています)により発見され、ロシアに領有されました。
しかし、ロシアはクリミア戦争で財政難に陥ると、アメリカに
720万ドルで売却してしまいます(1000坪あたり約2円)。この交渉をまとめたアメリカの国務長官ウイリアム・H・スワードは当初「巨大な冷蔵庫を買った男」と避難されますが、その後豊富な天然資源が見つかり、高く評価されています。キナイ半島郡には彼の名前を冠したスワード市があります
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アメリカ合衆国キナイ半島郡詳細

